自分の好きなことをしていた。気づいたら時計の針は2周近く回っていた…。
みなさんは、時間を忘れて何かに夢中で取り組む経験をしたことがあるだろうか。
きっとあなたは充実感とともに「ああ、こんな風に勉強もはかどればいいのに」
…そう思うだろう。
もちろん、世の中の大人たちも同じように考える。
「もっと仕事がはかどればいいのに」と。
人の集中力に作用するテクニカルな空間づくり
空間デザインの前におさえるべき大切なこととは?
先進的なGoogleやApple、Microsoftなどの企業は、有能なスタッフ達がその能力を存分に発揮できるよう、働きやすい環境を創り出すことに余念がない。ワーキングフロアにランニングコース、コーヒー片手に議論白熱のセッションスペース、集中できるように防音仕様にこだわった執務エリア。スタッフが、より高次元のプロダクトを生み出せるように、オフィスデザインに力を入れることは、今どきの常識だ。
更に彼らのオフィスデザインの取組は、目に見える建物本体の話で終わらない。
生産性向上に影響する、もっとベーシックな要素があることを忘れてはいけない。
それは、温湿度や空気の質など、目に見えない「建築環境」である。
人のパフォーマンス(生産性)はその空間の質、建築環境で変わる!
「子供たちの学習環境」を求めて。
「建築環境の要素、温湿度や空気の質を改善することで、より勉強や仕事に集中できる空間を創り出すことができます」と話すのは、静岡理工科大学建築学科建築環境研究室の石川春乃准教授だ。
実際アメリカでは、「ナレッジワーカー(知識労働者)」を対象に、十分な換気、適正な化学物質・CO2濃度の空気、標準的な快適温湿度が保たれた環境で実験を行い、”パフォーマンスはアップする”という結論が出ている。「ナレッジワーカー」のデスクワークパフォーマンスが上がるのであれば、私たちの学習パフォーマンスにも良い影響があるだろう。
しかし、この状態にするには条件がある。閉じた空間、つまり建具や窓を全部閉めきった部屋で、という前提条件だ。今までの建築物は、この閉じた空間での設備機器による制御によって、集中力の続く快適な空間を創りだしてきた。こうした設備機器による方法をアクティヴ手法と呼ぶ。最近の建築物の省エネは、設備機器の高効率化によって、大きく進化している。
産業技術の革新は、私たちの生活に浸透している。今や、まるで腕時計を見るように、ウェアラブルデバイスで空間の快適性を逐次計測することも可能だ。近い将来には、AIがその空間の質と快適性を管理することも可能だろう。学校でいえば、生徒が集中し続けられる学習環境の制御が、現実のものとなるのだ。しかし今のところ、その教室が、廊下等の他空間から完全に閉め切っていれば、という前提付きだが。
「快適」VS「省エネ」の二項対立ではなく、
「快適で省エネ」の相乗効果を技術的に実現する時代へ
「快適」にするためエネルギーを消費することと、無駄なエネルギーを使わないという「省エネ」は、相反するものだと思われがちだ。が、石川准教授はいう。「快適と省エネは両立できます。更にその実現手法はアクティヴとパッシヴの二項対立ではありません。既に両者の相乗効果を最大限に生み出すフェイズなのです」。
静岡県下の小中学校教室の室内環境を継続的に測定している石川准教授は続ける。「日本の住空間では、古くから日光や風といった自然を上手く取り入れるパッシヴ手法や縁側、坪庭のような外界と室内をゆるく結ぶ空間が標準仕様でした。特に気候温暖な静岡では、こうした日本ならではの考え方を大いに活用できます」。閉め切った室内よりも外気にゆるく接続する半屋外の方が、人は快適だと感じる温度幅が広くなるという研究結果もある。
例えば、インドネシア・バリ島“グリーンスクール”は好例だ。教育やそのエコロジカルな建物で世界的に有名な学校は、竹や萱等”地産材”で作られている。敷地内の建物は再生エネルギーを利用し、可能な限り自給自足をしている。屋内外の境はほぼなく、周辺環境と一体化しているのが特徴だ。ほぼ年中最高気温が30℃を超えるバリ島だが、学びに集中できる快適な環境が整っている。
「日本でも建築が”地産材”、”地産エネルギー”を標準仕様として活用していく時代です」。静岡では、鉄骨の大屋根を天竜杉の柱で支える”このはなアリーナ”(2015年)や富士ひのきをふんだんに使った”静岡県富士山世界遺産センター”(2017年)等の竣工が相次いだ。「地産材の公共建築物、非住宅の大規模建築への利用も進んでいます。次は地産エネルギーの展開ですね」。
「AIによって、建築環境はより精緻な快適さと省エネを実現できる」
自然の光や熱の仕組み、対流など空気の流れを理解して、建築環境を整えることが、空間デザインの基礎となっている。更にこれからは、AIが多様な制御が可能にしたことで、建築環境は次の次元に入るという。
「建築環境は、人々の集合体の不満足度を軽減することで、快適さの実現を目指してきました。次は、ひとりひとり異なる快適さを最大限実現する段階になります。その細やかな制御には、当然エネルギー消費抑制も含まれます。その意味では、従来の建築に関わるエネルギー利用という概念は逆回転し、エネルギー制御に必要なエネルギー創出を身近な供給で行う、という流れになるでしょう。その段階に向けて、建築環境は建築の枠を超えて、他分野との協働がかかせなくなります」。
“持続可能な開発目標”(SDGs)の実現を目指して、世界全体の大きなうねりの中、私たちの生活に身近な建物や学校校舎が子供の未来と周りの環境を変えていく。
そこで学んだ子供たちがこうした問題意識をもった人材となり、地球環境に貢献する地域の仕事に就くことになれば、こんなに素晴らしい”循環”はないだろうと思う。
the 研究者
静岡理工科大学
石川 春乃 准教授
日本人は四季折々の自然環境や地域の風土を活かし、建築と周辺環境をゆるくつないできました。これからの脱炭素社会を目指す上で大切な快適性とエネルギー消費のバランスはそこから学べるかもしれません。相反するようなこの課題の最適解を探して、建築内外の多様な視点から研究を行なっていきます。