あなたが少し遠出をして、どこかの地方都市に行ったとしよう。中心街の景色や大通りの風景になんとなく既視感を覚えたり「自分の住む街と同じ景色だ」と感じたことはないだろうか。
戦後から経済性や効率性などを追求するあまり、どの街並みも同じような景色になってきていることは時代の流れとして仕方のないことだったのかもしれない。それに合わせて人々の暮らし方までもが均質化してしまったということは必然だっただろう。
しかし、これからの時代は違う。自然や土地などの環境に寄り添って溶け合い、そこに住む人々の自然な暮らし方を実現する建築が求められることになる。
「建築とは概念で、建物とは異なります。社会や文化と深く関わって、何がふさわしいかを考え、空間を生み出すこと。これが建築家の仕事だと思います」と話すのは、自身で設計事務所も営む、静岡理工科大学 理工学部 建築学科の田井幹夫准教授だ。日本の大学で学ぶ建築学では①建築計画などを学ぶ”設計・意匠(デザイン)”、②耐震など構造体を学ぶ”構造・材料・施工”、③温熱や空気など安全快適な物理環境を学ぶ”環境・設備”の各分野があり、それぞれが並列している。田井准教授は”設計・意匠(デザイン)”の専門家である。
「これからはモノの質を良くしていく時代。建築にも、よりストーリーや知性、豊かさが必要になってくるし、長く愛されるものでないといけない」という言葉通り、”設計・意匠”は人文科学的な知識も必要で、計算や研究でひとつの解が出るものではないため、いわばチャレンジングな分野だ。今ある素材や工法、概念だけで考えるのではなく、これからの社会のあり方や人がよりよく暮らすにはどうしたら良いか、伝統に倣い、未来予測を踏まえた視点で考えて、建築にフィードバックすることが必要になってくる。
既成概念にとらわれず、もっと多角的な視点から建築を考えることで未来の建築が形作られるのである。
五感で感じる空間づくりで
有機的な建築を目指す
今あなたがいる場所で一瞬目をつぶってほしい。目をつぶっても、空間の大きさや壁や床の素材感を人間は感じることができる。
コンクリートの壁なら静かで緊張感を持った空気感や冷たい手触りになるし、音の反響も多いはずだ。逆に天然木であれば温かみと柔らかな空気感を得ることができる。「建築においては、そこにいる人に”本質を伝える”…空間に身を置くことによってしか感じられない一次情報を正確に伝えることことが大切です」と田井准教授は言う。
空間認識は視覚だけではなく、その聴覚・触覚など五感を使っており、それによって人はその空間の居心地を決める。誰かがフロアを歩く音、声の響き、空気感…五感に訴え、本能的に感じ取るものと素材が一致していないと、人はそこに居心地の良さを感じることはできないだろう。つまり、木材のテクスチャがプリントされたビニールクロスが貼ってあっても、人は木の香りや質感によって得られる安らぎを感じることはできないのだ。
周囲の環境との調和を考えず内と外が断絶した建物が幅を利かせていた時代から打って変わって、これからは歴史・文化や周辺環境を生かすことで人が心地よく過ごせる空間を作ることが重要視されることになるだろう。
「人がその空間をどう感じるか?」…そうした本質を踏まえた建築を、自身の設計事務所で数多く手掛けてきた田井准教授がずっと考え続けているテーマがある。
それは「”中間領域”で何が起きているか?」ということだ。
異なる個性を混ぜ合わせる「中間領域」が
つないでいく人・社会・空間
“中間領域”とは、本来、縁側や軒下、土間などのように、”内と外”の間に存在する曖昧で明確な区分や機能を持たない空間のことである。街路・通路にあるオープンテラスやピロティ、若い方には馴染みがないかもしれないが、前述した古民家における縁側などがそれに当たる。また、そういったハード的な側面だけでなく「人の行為にも中間領域(ソフト的中間領域)がある」と田井准教授は言う。「子どもは自由にやりたいことをやりたい場所で行なっているように見えますね。廊下で本を読んだり、寝そべったり…これは大人よりも本能的な部分に寄り添っているからでしょう。行為は連続的なもので、室や場も機能で分断されるものではないのです。こういったことを掘り下げていくことで、もっと居心地のよい空間を作ることができると私は考えます」。
例えば、田井准教授が設計した建築物を見てみよう。
畑や田園に囲まれた【佐野の大屋根】は、新しい街区の一角にあり、旧来の農村風景とのちょうど境目に位置している。家屋の裏手には農家の大屋敷、正面には新しい分譲区画…といった建物対立軸の中間に位置するということで、設計時は境界を示唆するようなデザインを作成。農村側から見ると境界で屋根をスパッと切たように見え、新しい街区側から見ると分譲地の特徴的な家型や四角い箱型に合わせて三角形の幾何学形態にした。そして三角形の屋根が軒を差し出し誰でも出入りできそうな2mの奥行きのL字型の縁側は、農村と新しい街区をつなぐ中間領域になっていることに注目したい。縁側が「人が集う」場所として価値を生み、公共的にも有意義な建築となっていることが分かるだろう。
【和賀材木座の家】は海のそばにある3層構造の家。一階にある5mの吹抜の土間に風呂場と洗面がある。マリンスポーツから帰ってすぐにシャワーを浴びたい時に重宝される造りである。大方の家は屋外に当たるガレージにシャワーを付けるのだが、ガレージ近くの土間に風呂場を設けることで無駄を省いた。また、内と外の間仕切りをなくし普段は開けておくことで極力家の内と外の境界をなくし、この土間が中間領域として存在する。土間は汎用的でそのままでどんなことにも使えるし、家を店舗のようにした時に外からの客を招き入れることもできる(施主希望で”住居だけの用途ではなく店舗にも使えるようにしたい”とのこと)。
これはハード・ソフト部分両面の中間領域として機能していると言える。
人がどう感じるかを突き詰めて、普遍的な価値を生み出す。建物が環境と融合しながら住む人の五感に訴えるようなデザインは、建物に人が合わせるのではなく”人間に寄り添った建築”と言えるかもしれない。
今後もITなどの普及によって私たちを取り巻く環境は急激に進歩していくはずだ。人々の暮らし方に合わせて建築が変わることもあるだろうし、その逆もまた然りである。何れにせよ、その一端を担うのは空間を作るエキスパートである建築家たちなのである。
※写真:©️satoshi asakawa
the 研究者
静岡理工科大学
田井幹夫 准教授
建築を考えることは、ものとものの関係性を考え直すことでもある。空間そのものの質を考えると同時に、空間同士の関係性を見直すことで、我々の未来の環境が生まれてくる。ものとものには”中間領域”があり、当研究室ではそれを掘り下げて研究している。